高校野球の東京予選で感じる僕なりの夏の過ごし方

近年僕は梅雨明け間近の7月中旬頃になると決まって神宮球場へ足を運ぶ。それは高校野球の東京地方予選を観戦するためだ。元来野球はスポーツのなかで一番好きな競技なのだが、3年前にたまたま行った神宮球場での高校野球の試合に魅了され今日に至るというわけだ。

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高校野球、とりわけ夏の大会はトーナメント制のため負けたら終わりのガチンコ勝負。地方予選を一度も負けなかったチームだけが、本選の甲子園出場の切符を手にする事ができる。それは全国で勝ち上がった強豪チーム同士の戦い。連日ニュースのスポーツコーナーで取り上げられる枠も増え、日本中が注目を集めている証拠と言えるだろう。

それならばわざわざ現場に足を運んで観なくても、テレビの中継やニュースでいいじゃないかというとそうではない。球場の内外には様々なドラマが待ち受けており、その瞬間を目撃するために足を運んでいるのだ。

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◇プロ野球・ヤクルトスワローズの本拠地「神宮球場」大学野球の聖地としてもお馴染みの球場である


今大会ここまで観戦した試合の中で印象的だった試合は3季連続甲子園出場をかけた二松学舎と堀越の試合だ。前半は二松学舎のペースだった。対戦相手の堀越は初回から暴投、牽制悪送球、外野手が打球の追い方を誤るなどミスのオンパレード。6回までに二松学舎が4対1とリードを広げていた。


だが、3回から登板したエース・大江が堀越打線に試合の後半に捕まる。僕が現場で観たいのはここからだ。テレビや新聞などによると「打線に捕まる」という表現で間違いないのだが、実際に観ると捕まった印象がない。後半大江が失点した4つのうち3失点がエラーと不運な打球が絡んでいるからだ。それは残酷すぎるほど野球の神様が与えた試練だった。


二松学舎が2点リードで迎えた7回裏。走者を置いて攻撃する堀越の左打者が放った打球は、バットの上っ面を叩きドライブがかってショートへ飛んだ。捕球はできたものの、おそらくボールが手に馴染まなかったのだろう。投げたボールはファーストのわずか横へ飛んでいった。これで1点差。

続く8回にも不運な打球が二松学舎を襲う。走者を置いて堀越の放った強いライナー性の打球はファーストの正面へ。その打球が選手の手前でワンバウンドする。打球に合わせようとした選手は少し後ろへ下がったところに腰が浮き、打球は無情にも股の間を転がり同点に追いつかれた。いわゆる「トンネル」というやつだ。

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◇写真は本文の試合内容とは関係がありません


極め付けは最終回。2死2塁で迎えた堀越の4番打者はそれまで大江の前に2三振。勝負にいきながら一塁が空いているので、カウントによっては歩かせていい場面だ。しかし、その歩かせ方が悪かった。四球となるボールはキャッチャーの手前で弾き、バックネットへコロコロと。2塁走者を3塁へ進めてしまったのだ。これで大江の得意とする落ちるボールが使えない。続く5番打者はそれまで大江の落ちるボールに手を出しては空振りを奪えていただけに悔やまれる。結局多投した直球は打者の体に当たる死球となり2死満塁。絶体絶命のピンチ。手に汗握るドキドキヒヤヒヤな展開だ。

しかし、野球の神様は非情にも最後にトドメを刺す。続く6番打者の放った打球はショートゴロ。これで万事休すかと思われたが、打球があまりにも勢いがなさすぎた。いわゆるボテボテのゴロ。体勢が崩れそうになりながらも懸命に一塁へ投げたショートの送球は、わずかに一塁へ駆け抜けた打者の足の方が速くセーフの判定。 三塁から走者がホームへ返りサヨナラ負け。二松学舎の夏は終わった。

その瞬間僕は二松学舎側のスタンドで観戦していたが、一瞬にして静まりかえるスタンドの様子といったら鳥肌がたつ思いだった。この様な球場の雰囲気。そして試合展開と一球ごとに変わる配球、守備位置、攻撃側の作戦などは現場に足を運ばなければ分からない。そして表情から読み取る選手心理などもそうだ。

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高校野球の現場の魅力は何も試合展開だけではない。試合開始前後の両校の応援団によるエールの交換。吹奏楽部やダンス部、ベンチに入れなかった野球部員による応援も魅力だ。近年はチアガールに取って代わり男子部員がユニークなダンスをする高校もある。これは一昔前に流行ったウォーターボーイズからの流れなのか。

さらに僕が注目をしてしまうのは、強豪校よりも弱小校だ。野球に力を入れていないのか部員はギリギリらしく、どんなに打ち込まれてもブルペンにピッチャーはいない。代えてあげたくても代えられない事情に切なくなる。ピッチャーの顔についた汗を拭う姿はときに涙を拭う姿にも見える。

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◇写真は本文の試合内容とは関係がありません


吹奏楽部が無い高校にもつい目がいってしまう。応援に来ている在校生やOBもいないに等しく、決して多いとは言えないお母さんの集団がひとつアウトをとる度にメガホンを叩きあって喜ぶ姿にはグッとくるものがある。そのお母さん方をまとめているのが数名の応援部だ。昔ながらの整髪料でガチガチにきめたヘアースタイルに学ラン姿。自校がどんなに打ち込まれても懸命に応援する姿を見てはまたグッとくるものがある。

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球場の外に目をやるとそこにも現場へ観に来る魅力はある。それは負けた野球部が在校生、OBをはじめ応援してくれた人に感謝の意を述べるシーンだ。涙で声にならない声を振絞る姿を見て、出身校でもなければ親族でもないのに泣いている自分がそこにはいる。

また、負けた高校の監督、つまり指導者が選手または保護者の皆さんに何を話すのかはとても興味深く勉強のつもりで聞き耳を立てている。

 

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僕が印象に残った試合。負けた二松学舎の選手たちは試合後真っ直ぐバスに乗り込んだが、一人カメラの前で涙ながらにインタビューに応える選手がいた。サヨナラ負けを喫したエース・大江だ。

高校野球というのはメディアもときに非情だ。例えばプロ野球で試合後のインタビューでカメラを回す対象は勝ったチームの選手だけだ。ヒーローインタビューがいい例だ。一方負けたチームでカメラを回す対象は監督だけであり、もしくはペン記者の取材だけである。(もちろん例外もあるが)
それを若干16,7歳の高校生がカメラの前で敗戦の弁を述べている姿には、本当に胸が打たれる思いでいっぱいになるのだ。

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僕はどうも高校野球に限ると、勝者よりも敗者に目がいってしまうようだ。そこには単なる高校生の涙する姿に心を打たれるのが理由ではなく、人が生きる過程で必ずやってくる壁にどう応えていくかという原点のひとつとして、高校野球の現場、とりわけ敗者のチームから学んでいる気がする。自分の生きる道は自分で決めなければならないが、その生きる道は人の人生で生かされている場面がほとんどだ。

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各地の予選が終われば暑さが厳しくなる8月を迎える。夏本番だ。しかし僕は高校野球の予選を見届けると夏が終わるような寂しい気持ちになる。東京の夏を静かに過ごし、暑さが和らぐ秋になると一転、暑さが厳しい東南アジアに旅立つのが近年のスタイル。今年もどうやらそんな夏になりそうだ。

高校野球、東京地方予選の決勝は順調にいけば西東京大会が7月26日(日)。東東京大会が7月27日(月)でともに神宮球場で行われる。今年はどんなドラマが待っているのだろうか。

一般財団法人 東京都高等学校野球連盟 ホームページ

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