下川裕治さんの新刊レビュー『週末ちょっとディープなタイ旅』を読んでみました
旅行作家の下川裕治さんの新刊、『週末ちょっとディープなタイ旅』が朝日文庫より発売された。今作は、下川ファンにはお馴染みの週末シリーズでもあり、前作『週末ちょっとディープな台湾旅』に続く、ディープシリーズでもある。今回はそのレビューを僕自身の旅と重ね合わせながら紹介していこうと思う。
第1章:タイ料理とタイ中華料理
作品はタイ料理の話しから始まる。タイに住んだ経験もある下川さんは、タイ料理を口にしてから40年近くになるらしいが、タイ料理とタイ中華料理の系譜が違うと話す。その真意とは? という話しが第1章になっている。そして代表的な料理を、タイ料理とタイ中華料理に分類して紹介されているので、初めてタイへ旅する人にも読み応えのある内容だ。
僕はタイへ訪れると、バンコクに住む友人と食事をする機会がある。意識はしていなかったが、その時は決まってタイ料理だった。東北タイの鍋料理のチムチュム、ひき肉のラープ、パパイヤサラダのソムタム、春雨を使ったヤムウンセンなどは必ず口にしているような気がする。
その一方で、一人で食事をするときや、小腹がすいた時のおやつ代わりは、タイ中華料理を口にしていた。タイ風焼きそばのパッタイ、チキンライスのカオマンガイ、米麺のクイッティオなどだ。これらのタイ中華料理は、特に旅を始めた最初の頃に口にしていたような気がする。一人ということもあったが、屋台で気軽に食べられることも要因だった。それがタイの旅に慣れてくると、タイ料理屋の椅子に腰を下ろし、ラープにレバーをトッピングしては、ライスを付けて一人飯をするように変わっていった。
友人や恋人とタイを旅するときはタイ料理屋に足を運び、ちゃんとトムヤムクンやタイスキと向き合う。その一方で、一人旅の身には、最初はタイ中華料理から入り、慣れてくるとタイ料理へ移り変わっていく傾向があるんじゃないだろうか。第1章を読んだ僕なりの感想だ。
第2章:裏の交通機関
第2章では、バイクタクシーとロットゥーについて触れている。僕も何度か利用したことがあったが、渋滞と無縁のバイクタクシーの後部座席に股がり、排ガスの匂いがする風にバンコクを感じていた。単なる移動手段でも、あぁ旅をしているなと感じる乗り物だと思っている。
そんなバイクタクシーやロットゥーを、バンコクのガイドブックに掲載するかしないかで、日本の出版社は悩んでいるようだ。そこには政府の認可がないグレーゾーンのなかで自然発生的に生まれた乗り物ということに加え、危険性が伴うのが理由のようだ。ロットゥーもバイクタクシーもとにかくスピードを出す。ひっくり返ったら終わりだなと覚悟をして乗っているが、下川さんはどんな気持ちで乗っているのだろうか。
その気持ちは分からないが、バイクタクシーやロットゥーの歴史を下川さんは、バンコクで暮らしていた頃の話しと重ねて触れている。政府の大臣、警察、首相、利権構造……。単なる旅人には分からない、取材と経験を元に作品にされた第2章は読み応えがあった。そして昨年(2016年)、アヌサワリーから消えたロットゥー乗り場や、新しい電車のパープルラインの奇妙な出来事についても触れられている。
第3章:軍事政権
第3章と後述する第4章では、軍事政権とプミポン国王の死去について触れている。今回の作品で、最も大きな意味と、下川さんの強い思いが描かれているように思う。
第3章の話しは軍事政権と民政移管、タクシン派と反タクシン派の対立など、タイの政治的な歴史を振り返るところから始まる。そして軍事政権の取締まり。
「軍事政権はタイをどうしようと思っているんだろうか」
観光収入の大きなひとつでもある、歓楽街への取締まりを強める軍事政権への思いを、つぶやくある男の一言が印象的だった。
これは、僕のような旅行者にも他人事ではなかった。たとえば、シーロム通りやトンローの屋台街は消えてしまった。そして先日インターネットで得た情報によると、ヤワラーとカオサン通りの屋台も今年(2017年)末までに撤去する情報も目にした。
「軍事政権はタイをどうしようと思っているんだろうか」
これは観光・飲食を商いにするタイ人だけではなく、僕のような外国人旅行者にとっても寂しい話しなのだ。屋台は一人旅の気軽さもあったが、車やトゥクトゥクの騒音と排ガスの匂いを感じながら、タイ料理とタイのビールを飲む。これがバンコクの旅の醍醐味でもあった。
バンコクから消え行く屋台街。その真意は軍事政権によるバンコクのイメージアップらしいが、そんな軍事政権の感覚を下川さんはどこかずれているようにも感じると話す。
そして昨年(2016年)に開催された、憲法改正案の国民投票の結果に触れている。国民投票の結果は、欧米型民主主義との決別と、選挙をすれば必ずタクシン派が勝ってしまうというタイの構図は、選挙というものの限界をタイ人に気づかせたのかもしれないという下川さんの見解は頷ける内容だった。
第4章:プミポン国王の死去
話しは第4章から、プミポン国王の死去へと移る。下川さんといえば、タイに住んだ経験もあり、タイに関する著書も多い。しかしプミポン国王に関する文章はないように思う。本人も書いた記憶がないと話す。それは王室の批判を書くと不敬罪が過るからだそうだ。今作品で皇室の批判は当然されていないが、プミポン国王の死去はタイを愛する旅行者をはじめ、下川さん自身にとっても感慨深い作品になったのではないかと思う。
僕はプミポン国王の死去から一ヶ月後、バンコクにいた。作品のなかでも触れているが、タイは喪に服すため、黒い服で染まっていることは、インターネットの情報で知っていた。常夏のタイ。いつもならだらしないTシャツとハーフパンツで街を歩くが、今回はどうするか……。頭を悩ませた出来事だった。その結果、黒い長ズボンとポロシャツでバンコクの街を歩いた。下川さんも話しているが、日本人はタイの王室を、日本の皇室と重ね合わせて見てしまうところが、黒い服を身に纏った要因だったと思う。そしてタイで暮らす日本人の友人と会うことも後押しさせたような気がする。他国で暮らす友人に恥をかかせては……。そんなことを思いながら待ち合わせ場所へ向かうと、Tシャツとハーフパンツで現れた友人がこう言った。
「偉いじゃん、ちゃんと着てきたんだね」
やっぱり僕は日本人なんだなと思った瞬間でもあった。
そんなプミポン国王の死去直後のバンコクの様子を、下川さんの目線で細かく取材されている。また、同行したカメラマンの阿部稔哉さんの写真が数多く掲載されているのも第4章の特徴だ。そこにはリアルな写真と文章がある。かなり力の入った章と感じたのと同時に、読み応えのあった章でもあった。
第5章:タイ国鉄
第5章では打って変わり、タイ国鉄の話しになる。下川さんは昨年(2016年)、タイの全鉄道路線を走破する旅をしていた。これは下川さんのブログでも度々目にしていたので知っていた。おそらく下川さんをあまり知らない旅行者がこの本を目にしたとき、ディープ旅のタイトルと内容がしっくりくるのが、第5章なのかもしれない。
タイを鉄道でのんびり旅をする。タイと旅を愛する勤め人旅行者には、憧れな旅かもしれない。僕もいつかはやってみたいと思っているが、さすがに全路線を走破する旅はしないと思う。それでもなるほどと唸ってしまう箇所が、タイには乗り継ぎの発想がないという話しだった。後から聞けばなんてことはない話しだが、普段乗り継ぎの通勤電車に揺られている身にとっては、気づかない部分でもあった。やはり旅はしてみるもんだと気付かされた内容だった。そんなタイの全鉄道路線を走破する旅は、いずれ一冊の本になるだろう。
第6章と7章:ラオス
最後はラオスで締めくくる。一瞬、タイ旅でラオス?と思うが、前章の鉄道とリンクしており、国境を超えたラオス側のタナレーン駅から話しは始まる。そしてラオスといえば、避けては通れない中国の話しへと移行していく。なぜ、鉄道はビエンチャンまで繋がらないのか? なぜ、ラオスは中国との関係をつくっていったのか? その理由がこの作品を読むことで理解できた。う〜ん、中国とは……。やはり一筋縄にはいかない中国か……。そんなことを感じた章だった。さらに僕自身、4ヶ月前に旅したビエンチャンの風を思い出しながら本を読めた部分でもあった。
まとめ
今回発売された下川裕治さんの新刊、『週末ちょっとディープなタイ旅』を記念して、東京都杉並区の本屋「旅の本屋のまど」にて、3月にトークショーが開催された。そのトークショーに観覧者として参加させてもらった。僕は何度か下川さんのトークショーに足を運んでいるが、下川さんはタイに関してあまりハッピーな気分になるようなことを言わない。
「タイ人はよく分からない」
「タイ人はほっといてくれない」
「バンコクより地方のナコンラーチャシーマー」
など、これらの発言は、逆に下川さんの魅力と感じている部分でもあるが、変わりゆくタイに若干の寂しさも感じているのではないかとも思っている。そういう意味では、昨年の国民投票の結果とプミポン国王の死去は、タイが今後大きく変わるひとつの節目だったように思うし、下川さんもそう語っていたのが印象的だった。
下川さんによるタイに関する作品は、今後も発表され続けてくれると思うが、今回のタイミングで発売された作品は、タイに対する大きなひとつの区切りのような作品にも感じた。下川さんはどう感じているのかは別として、下川ファンの僕のなかでは大きな作品となった。
そして、最後にひとこと。
特に下川さんを知らなかった人には、タイと下川さんの関わりも分かる内容になっているので、おすすめできる作品といえるだろう。バンコクの安宿で沈没しているオヤジの売春自慢話しなんぞ聞くより、よっぽど身になる内容である。今年のゴールデンウィークは、ぜひ『週末ちょっとディープなタイ旅』を持参して旅に出ようではないか。